【この日の移動】
なし
【この日の宿】
ハイダーイン(ドミトリー 400ルピー)
旅に出て六日目。前回の記事は下記をどうぞ。
実録!ガイドなしでフンザのミナピン村からラカポシBCへ行く方法。本日は悩んだ挙句、ウルタルBCへのトレッキングを断念しカリマバードでゆっくりすることにしました。
どうやらまだオフシーズンで足場は悪くトレッキングはオススメできないことと、ウルタル峰の方の天気が悪くまったくピークが確認できない。
というわけで泣く泣く今回の旅ではウルタルBCトレッキングは諦めることにしました。
まあラカポシBCもまだまだ雪が積もっていて危なかったし当然の判断ですな笑
その代わり本日は行きたかったハセガワメモリアルスクールへ
早朝のフンザを撮る
本日も早起き。朝6時に起きてフンザを写真に収めました。
しかしフンザの日の出は5時。天気は良かったのですがすでに朝焼けすら終わっている時間。明日、リベンジです!
ハセガワメモリアルスクールへ
フンザを写真に収めた後はいよいよハセガワメモリアルスクールへ。
ハセガワメモリアルスクールとは登山家の長谷川恒男の奥さんがカリマバードに設立した学校で日本の小学校一年生から高校一年生に当たる生徒達が1000人以上、勉強しているそう。
長谷川恒男に関してはカラコルムハイウェイを旅する理由でも触れてますが、ヨーロッパ三大北壁を冬季に単独で初登頂した偉大な登山家です。
そして1991年にウルタル峰を登山中に雪崩に巻き込まれて亡くなってしまいました。
詳しくは「長谷川恒男 虚空の登攀者」が面白いのでぜひ読んで見てください!
そんなハセガワメモリアルスクールへ。
日本人が行ったら丁重にもてなしてくれると聞いていたので行ってみたら直々に学校の先生の案内の元に各クラスやパソコンルームや図書館など案内してくれました。
子供達めちゃくちゃ元気です!日本でいうと下は小学校一年生から上は高校一年生まで勉強していました。
そして子供達は卒業したらアーリアバードの大学などに行くそうです。
パソコンルームはいくつかの施設はなんと三菱の寄付でした。
こんなパキスタンの山間部なのにありえないほどパソコンも充実!!(゜ロ゜)
図書館にも本がいっぱい!
外国語の本もいっぱいありました。
また学校内には至る所に長谷川恒男の写真や、日本語で書かれたニュースや書籍などもありました。
そして先生には日本語で来てくれてありがとうと言われた笑
いやいや、自分は何もしてないしむしろ授業の邪魔しちゃったようなものなのでほんと申し訳ない笑
こうやって亡くなられても名前が残るというのは素晴らしいですね。長谷川恒男さんは本当に奥さんや周りの人に恵まれたのだなと強く感じました。
また、パキスタンで女性の写真って撮れないのですがここでは撮れました!
午後もハセガワメモリアルスクールへ
ハセガワメモリアルスクールが非常に良かったので午後にも行って来ました。
授業が14時に終わるとのことだったので13時半くらいに行くと子供達が校庭で遊んでいました。
いやー、パキスタンの子供達みんな可愛いです。
そしてみんな長谷川恒男のことを知っている。この学校の創設者みたいなものなので当然といえば当然ですが。
また、学校の先生の中には長谷川恒男の歌を作詞作曲している人がいて、その人の歌を携帯で聴かせてもらったりとても充実した時間を過ごせました。
やっぱりこうやって自分が死んでもいつまでも自分の名前が残るっていいですね。
自分ももし大金持ちになったら次世代を担う子供達に寄付したい。そう思わされたハセガワメモリアルスクールでした(´∀`*)
次回の記事は下記をどうぞ
フンザからタシュクルガンへ。パキスタンから中国への地獄の国境越え